何のために仕事をするのか?と問われたとき、大多数の人はそれがあまりにも当たり前な質問であることに面喰うことでしょう。
実際に掘り下げてみると、「生きていくため」、「人の役に立つため」、「家族の生活のため」、「やりたいこと(趣味・旅行など)の原資を稼ぐため」など答えは千差万別。
ああするべき、かくあるべき…といった模範解答などどこにもありません。
しかし、差し出がましいようですが、これからの人生がどのようになっていくのかは、平日の大部分を費やし、人生において誰しもが切っても切れない関係である「仕事」との向き合い方いかんによって大きく左右されるのです。
言い換えれば、「仕事」が人生に大きな影響を与えないはずなどないのです。
ロシアの作家であるマクシム・ゴーリキーは、「仕事が楽しみならば人生は極楽だ。苦しみならばそれは地獄だ」という名言を残しています。
人類初の社会主義国家樹立の契機となったロシア革命を経験し、「仕事と人生」との関わりを否応なしに真剣に考えざるを得なかった時代を生きたゴーリキーの言葉は、今なお何ら色褪せることなく私たちの心に強く訴えかけてきます。
ゴーリキーの時代から100年を経た現代、いわゆる「ブラック企業」の経営者たちがこの言葉を、従業員を酷使するための方便として訓示に用いたり、経営理念として掲げたりするケースが多いのだそうです。
「楽しいと思えば、辛い仕事にも耐えられる」、「辛いと思うからできないのだ。
できないのは楽しもうとする気概が足りない」という意のすなわち「心頭を滅却すれば火もまた涼し」と同じことを海外の文豪の言葉を借りて権威付けているのです。
幸せかどうかを決めるのは会社や経営者ではなく本人自身ですから、働かせる側の都合でこの言葉が乱用されているのは残念でなりません。
ただ、少なくとも、「仕事と人生」、「仕事と幸福」という命題は、誰しもが向き合わなければいけない非常に重要なことなのです。
仕事と「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」
近年、ワーク・ワイフ・バランス(仕事と生活の調和)が重視され、労働時間の見直し、残業時間の抑制、有給休暇取得の奨励など、かつては大企業の特権に過ぎなかった労働環境の改善が徐々に中小企業にも波及してきました。
誰もがやりがいや充実感を感じながら働き、仕事上の責任を果たす一方で、子育て・介護の時間や、家庭、地域、自己啓発等にかかる個人の時間を持てる健康で豊かな生活ができるよう、
今こそ、社会全体で仕事と生活の双方の調和の実現を希求していかなければならない。内閣府:仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章
かつて「日本が世界中を買い占める」とまで恐れられ、バブル経済と呼ばれる指数関数的な右肩上がりの時代を謳歌した日本を支えたのは、外国から「エコノミック・アニマル」と揶揄されるほど懸命に働いた日本人のビジネスパーソンに他なりません。
しかし、バラ色の未来を信じて働いた彼らを待っていたのは、「失われた20年」と言われる未曽有の不況と、外国の辞書にまで掲載された過労死(KAROSHI)という悲しい現実でした。
ワーク・ライフ・バランスはこうしたことへの反省も踏まえ、仕事ばかりでなく自身のプライベートも大切にし、充実した人生を歩もうという試みで、奇しくも不況にあえぐ企業の人件費削減に貢献する結果にもなりました。
仕事ばかりで他に何もない人生も、プライベートの充実だけを目的に働く人生もあまりに決して幸福とは言えないでしょう。
何事も程度があるとは思いますが、どうも近年のワーク・ライフ・バランスを語る文脈には「仕事=悪者」のような構図が色濃く表れているような気がしてならないのです。
あるIT関連サイトの調査では7割近くのITエンジニアが月に20時間以上もプライベートの時間を勉強に充てているという結果が出ているように、
テクノロジーが日々進歩するIT業界にあって研鑽努力を怠らないのは彼らがこの世界で生き残っていくための最低限にして最強の防衛策なのです。
ただ、そこに24時間働かされているような悲壮感はありません。彼らが学び続けるのは、それが、彼ら自身が必要だと感じているからであり、仕事とプライベートの切り分けに関してはさほど神経質にはなっていないのです。
そう考えるとITエンジニアのワークとライフは対極の関係にあるものではなく、同じ方法に向いて程よく影響を与え合っていると言えそうです。
ITエンジニアの幸せな未来とは?
(田中邦裕氏/さくらインターネット創業日記 より)
さくらインターネットの創業者であり現社長でもある田中邦裕氏が、自身のブログであるさくらインターネット創業日記で「ITエンジニアの幸せな未来とは?(2015.2.26)」
というタイトルで、CROSS 2015において「今こそ語るエンジニアの幸せな未来」と題したセッションの内容が記してありましたのでご紹介します。
ITエンジニアであるということを手段ととらえるのか、目的ととらえるのかによって異なると思いますが、ITエンジニアとして仕事が充実し、家族をはじめとした人生そのものも充実するというのが、理想的には一番の幸せであるのは間違いないと思えます
と述べた上で「働きやすさ」と「働きがい」は異なること。「働きやすさ」が改善したからといって「働きがい」が産まれるわけではないということを強調しています。
そして元はてなの伊藤直也氏や、ADSJ(AWS)を退職した玉川憲氏など、恐らくは好待遇であり働きやすさは充実していたと思える人が次々と新天地を求めることにある程度の働きやすさを得た人にとって重要な要素となるのは「働きがい」ではないかと分析しています。
ちなみに、働きがいはいつまでたっても要求が止まらない麻薬のようなもので、さらなる刺激を求める傾向があるため、いつまでも満足しないものなのだとも感じました。
このようなケースにおいては、不満足な状態ではない(働きやすさは得られている)けれども、満足が少なくなってきた(働きがいが増えない)と言い変えられるかもしれません。
多くの転職では、給与の高い職場とか、実家に近い職場とか、休みの取りやすい職場、といったように、働きやすさの改善を求める場合が多いと思いますが、上記のように働きがいに満足感が無くなってきて転職する人もいます。
最後に田中氏は、ITエンジニアの幸福な未来についてひとまずの回答を述べています。
働きがいや生きがいといった、幸せを増すための因子を改善できる環境に、身を置けるようになることが重要なのかなと感じました。
それならどのように立ち回ればいいんだ?という話になるわけですが、ここまで長々と話をしてきて恐縮ですが、とにかく勉強を続けて、いつでも転職できるくらいの人材にならないと行けない、というごく当たり前のことがセッションの結論でした
【まとめ】
・常に勉強して、働きやすい環境を得られる人材になる?
・働きやすさを得て、働きがいを満たし、生きがいも満たすことで幸せになる?
・働きやすさは会社が与えることができ、そのうえで働きがいを考えるきっかけを用意する?
・働きがいは自分で見つけるもの。ただし働きがいを会社が引き出すことは出来る?
・会社や上司は働きがいを奪うことをしない
最後に確認して欲しいポイント
自己啓発書やセミナーなどでよく語られる幸福論の中で「これが幸せである」と押し付けがましく言われると何とも言えない不快な思いになるのは、幸福は、人によって千差万別であり自分自身が心の底から感じるものであって決して強圧されるものではないことを本能的に知っているからです。
しかし、ITエンジニアだけでなく、家事も含めて大多数の人が「仕事」に深く携わっている以上、仕事と人生の関わりを否定することはできません。
ならば、仕事をしている自分自身を、もしくは仕事を終えようとしている自分自身を誇らしく思うことができたならば、それは「仕事を通じて幸福を手に入れた」と胸を張って言うことができるのではないでしょうか。
いささか差し出がましいかも知れませんが、当コラムが、ITエンジニアとしての幸福について考える契機となれば幸いです。