「海外の大学出身です」、「アメリカ帰りです」、「帰国子女です」などという経歴を聞くと何だか特別な人であるかのような眼差しを向けてしまうのはどうやら多くの日本人の性のようです。
明治時代以降、こと近代化に関しては言えば欧米は追いつくべき目標でしたし、戦後は焦土と化した日本があこがれた「豊かさ」の象徴でもありました。
後に先進国の仲間入りを果たし経済大国と呼ばれるようになった現代でさえ、日本人の欧米に対する漠然としたあこがれはDNAのレベルにまで深く刻まれているようです。
最近、有名人の経歴詐称が様々なメディアでスクープされていますが、その発端となった某氏が作り上げた輝かしい経歴にコロッと騙され、一目置いてしまったのもこうした日本人の気質と無関係ではないはずです。
ITエンジニアに関して考えてみても、その本気度はさておき「一度は海外に出て働いてみたい」という声は昔からよく聞かれる彼らの予定であり、目標であり、夢でもあるのです。
アメリカならば、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツ、マーク・ザッカ―バーグを輩出した国であり、シリコンバレーはITに携わる者ならば誰もが知っている聖地です。
そしてヨーロッパから命を賭して海を渡り、西へニシへと辺境を切り拓いた開拓者精神は、脈々と受け継がれ、将来性のある事業や起業家に対する手厚い支援が行われる風土へとつながっています。
夢や目標を現実のものへと手繰り寄せるためには相応の努力が必要になりますが、大多数のITエンジニアがITの本場であるアメリカを少なからず意識していることは間違いありません。
日本で手に入らないものはない。海外経験も日本企業で積むことは十分可能。しかし。。。
ITの基礎技術は元々欧米で生まれたものであり、新しい技術もその多くはシリコンバレーなど海外から発信されます。一昔前ならば、情報や技術は現地で鮮度の高いものを得た方が良いことは常識中の常識でした。
その一方で、日本人にとっては「言葉の壁」が大きく、それが世界へ一歩先んじることのできない大きな障害となっていましたが、奇しくもITの発達により鮮度の高い情報が一瞬にして世界中を駆け巡るようになり、優秀な翻訳家の活躍と近年驚くべき進化を遂げた翻訳ソフトによって「日本語版のリリースを待つ」というタイムラグが解消されました。
日本は、かねてから外国の文献の大部分を母国語で読むことのできる世界でも例のない稀有な国であり、近年はほぼリアルタイムに近いレベルで海外の情報を母国語で得ることができるようになりました。
すなわち情報しろ技術にしろ、わざわざ海外に出向かなくても十分に習得できる環境がすでに日本国内で整っているのです。
また、日本にいると実感しにくいのですが日本の大企業は今や内需では会社を維持発展させることが困難となっており、海外での売上が大部分を占めていることが多くなっています。
例えばトヨタ自動車で約70%、パナソニックで約50%、新日鐵住金で約40%と海外での売上比率が非常に高い割合を占めています。
とすれば日本生まれ日本育ちの企業でも実際のところは海外での業務も多く、ITエンジニアであっても例外なく海外の事業所で現地スタッフと共に働くことができるはずです。
このように、単身渡米などという「カッコいい」行動を取らなくても海外での経験を積むチャンスは十分にあるのです。
海外で培った経験は何物にも替え難い財産となる
先に述べたように、知識にしても、技術にしても、設備にしても今や日本で手に入らないものはほとんどないと言っても言い過ぎではありません。
ですので、明治時代の岩倉使節団のように見るもの触れるものが全て新鮮で真新しいものであるかのような期待を抱くとかえって拍子抜けするかも知れません。
アメリカが世界の最先端を行く新しい技術を開発しても一般の人の手に触れるようになる頃には、その技術は日本にも伝わって持ち前のアレンジ力で本家のお株を奪うほどの製品を作っているケースも多いからです。
となると、アメリカをはじめとする欧米のIT立国から学ぶことはないのか?というと決してそんなわけではありません。
大手SIerによって案件が寡占状態である日本のIT業界は、建設業界と同じく多重下請構造となっており、ピラミッドの頂点に立つ大手SIerから裾野の下請け企業に仕事を回す…実態は丸投げする構図が成り立っています。
そしてプロジェクトによって発生した大金は頂点に立つものの取り分が圧倒的に多く、下層に行くほどその搾りカスを受け取るに甘んじているのです。
この構図が成り立ってしまうことによって、最下層のITエンジニアは、失敗の許されない仕事を、安い賃金で馬車馬のように働かされる救い難い状態を作っているのです。
この原因のひとつは、日本におけるITエンジニアの地位が思いのほか低いことにあり、この状態にあっては欧米のように世の中を変えるような新しい発明やサービスを生み出す進取の気性に富んだ起業家が現れるはずもありません。
アメリカにおいてITエンジニアは大学でコンピューター工学を専攻し、基礎理論から応用までを修めた文字通り生え抜きのエンジニアが就く職業であって、高度な専門知識を持ったプロフェッショナルとしての扱いを受けています。
一方日本では、理系出身学生の絶対的な不足もあって理数系とは縁のなかった文系学生さえも「ポテンシャル採用」し、使って育てるスタンスを取っている企業も多くみられます。
直接作業にあたらない大手SIerには、プログラムの基本的な知識すらない、学んでいない人間がプロジェクトを牛耳っていることさえあるのです。
このことからも欧米ではITエンジニアは「人材」であり、日本では労働集約型の単純労働と同じ「人手」と見做されている大きな差を感じ取ることができます。
すなわち、日本のITエンジニアが海外に渡ってその最前線で働くことによって、日本と比べて社会的地位が高いITエンジニアが開発案件に対して、どのようなアプローチをかけるのか?
また、「成果を出せば出しただけ報酬が得られるが、結果が出なければ即解雇もあり得る」という欧米型の雇用形態の中で、どのような意識を持って仕事が出来るかを身をもって体感することができます。
そこに元請けや下請けといったヒエラルキーは存在せず、ステークホルダー同士のしがらみなどは眼中になく、ただプロジェクトの完遂を使命として手を組んだチームが最短距離のゴールを目指すまさに「プロの仕事」を間近に感じることができるのです。
ITエンジニアが腕を磨くのに日本でできないことはほとんどありません。しかし、商習慣の違いも含め海外の企業で得られる経験はITエンジニアとして何物にも代え難い財産になるはずです。
最後に確認して欲しいポイント
「海外で働く」ことは軽く口に出せるほど簡単なものではないことは言うまでもありませんが、ITエンジニアは、開発言語やコードなど、万国共通の「言語」やテクニカルタームを使えることで、その最大の障壁と言われる「言葉の壁」は低くなっています。
開発途上国の多くの若者がIT長者になる野心を抱いてシリコンバレーの門を叩き、日夜必死になって働いているのも、海外での経験が、夢への近道と信じているからではないでしょうか。
もし、日々悶々とデスクに向かい、変化のない毎日に「このままではいけない」と思ったら、海外へ渡るのもひとつの選択肢です。その一歩が、将来の大きな果実につながる偉大な一歩となる可能性もあるのです。