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海外に負けるな!日本のソフトウェアエンジニアの将来を考える

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2017年02月08日

2015年11月26日の記事を再構成(文言の追加)をして作成した最新記事です。

ソフトウェアエンジニアとは、文字通りソフトウェア開発の際、ソフトウェアの設計やプログラミングを担います。一方で、システムエンジニアはシステムの開発や要件定義などの上流工程を担当する点でソフトウェアエンジニアと大別されています。

しかしながら、厳密な定義はなく、業務で「やっていることはあまり変わらない」というケースもよくあるそうです。今回は、プログラミングも含めた広い意味でのソフトウェアエンジニアの場合について考えていきます。

プログラミングの仕事は2020年になくなる!?

2013年7月15日付の現代ビジネスにおいて、2020年「なくなる仕事」のひとつにプログラマーが挙げられていました。プログラミングの仕事は、欧米では海外へのアウトソーシングが進んでおり、システム開発の仕組みさえ構築されていれば、個々のプログラマーが日本にいる必要もなくなってくる(水野氏)。

プログラミングそのものが機械化される可能性も(小笠原氏)。

などを理由に挙げていました。

効率化が必ずしも良い結果をもたらすとは限りませんが、かつての電話交換士などがそうであったように、その波はテクノロジーの進化によって無慈悲なほどに押し寄せてきます。

ただ、ここでいう「なくなるプログラマー」の仕事は、ただコードを打ち込むような単純なプログラミングの話であり、ソフトウェア開発の業務は、淘汰されるどころか、かえって非効率的な仕事を表舞台から消し去る仕事としてますますその重要度が増していくはずです。

ですので、この記事だけで判断することはできませんが、プログラマーが「なくなる仕事」に挙げられた出来事自体が非常にショッキングなものであり、ソフトウェアエンジニアとてウカウカしていられない立場にあることを痛切に感じさせられるものであったことは確かです。

広がるエンジニアの格差と世代間ギャップ

ソフトウェアエンジニアは、ITという言葉が生まれるはるか前、コンピューター時代の黎明期からテクノロジーの進化を陰で支える屋台骨として活躍してきました。IT業界やエンジニアと言えば、若い人たちが多いイメージがありますが、ソフトウェアエンジニアに関しては様々な世代の人が活躍しています。

ベテラン社員を嘆かせる「受け身」で「諦めの早い」若手社員

日本の「失われた20年」と言われた不況、IT革命と言われた21世紀初頭の好況、2008年のリーマンショックによる世界同時不況、そして近年の景気回復など、時代による大きな景気の浮き沈みは、IT業界にとどまらず、働く人の「仕事観」に大きな影を落としていることは間違いありません。

近年、理数科目3割減の「ゆとり教育」を受けた世代が続々と社会人になると、ベテラン社員の嘆きをますます多く耳にするようになってきました。

社歴が20年を超えるマネージャー世代から言わせれば、最近は「受け身」の若手社員が年を追うごとに増えているのだそうです。彼らの世代が若手の頃に「聞いていないのでできません」とでも言おうものなら、先輩社員から「なら、なぜ聞かないんだ!」と怒声にも似た指導を受けたものですし、叱られることくらい大方の予想はついていました。

しかし、最近の若手社員は、ベテラン社員を呆れさせるほど「聞いていません」という言葉を平然と口にするのだそうです。

IT業界はテクノロジーの進化が驚くほど速く、製品開発にかける時間も、製品寿命も日々短くなっています。その中にあって受け身の姿勢では技術水準を維持発展していくことは難しい。かと言って、その世代は厳しく指導されることに慣れていないことが多く、育成に苦慮しているそうです。

また、あるマネージャーは、最近の若手社員に「エンジニアとしてプライドを感じない」と嘆いています。あるものを組み合わせるにしろ、ゼロから作るにしろ開発とは困難を伴う山あり谷ありのまるで戦のようなもの。本来は「できる方法」をひたすら考えるところをすぐに「できません」と、さじを投げてしまうのだとか…。

そこにエンジニアとしてプライドは微塵も感じられないと言います。ベテラン社員の嘆きは同情を禁じませんが、かつてエジプトで発見された紀元前に刻まれたとされる石碑にも、解読した結果「最近の若い者はなっとらん」という心の叫びが記されていたように、年長者が若者に対して嘆くのはどうやら古今東西同じような現象のようです。

エンジニアの世代間ギャップは時代の産物

こうした、エンジニアの世代間ギャップは、時代背景が産み出したものだと考えることができます。日本経済が安定成長を遂げ、年功序列や定期昇給が揺るぎなかった時代は、安心して働けるばかりか努力した見返りも多く、海外の人から「エコノミック・アニマル」と揶揄されることさえ誇りに思えたものでした。

会社に忠誠を誓う代わりに安定した生活を保障するという、現代版の「御恩と奉公」が成立していたのです。つまり、所属している会社や携わっている仕事さえ意気に感じて働くことのできるある意味「いい時代」だったのかも知れません。

一方、現在は定期昇給の時代は終わり、今どきの企業は成果主義、さらに企業倒産も珍しくないとなれば当然のことながら、年長の人たちとは「仕事観」が異なってきます。

また、若手社員は不況がデフォルトの状態で育った世代ですから、一昔前の青春ドラマのような泥臭い努力には得も言われぬ空しさを覚える人が多いようです。まさに水と油、ベテラン社員の視点で若手社員を評すること自体が酷な話なのかも知れません。

幼い頃からITに触れた若手社員に見出す可能性

しかしながら、ITの発達した時代に多感な時期を過ごした若手社員は、幼い頃からベテラン社員の同じころの何百、何千倍の情報に触れて育ってきた世代ゆえ、情報収集や取捨選択の能力に優れ、柔軟な発想をもつ人たちも少なくありません。

また、「先に見えない時代」だからこそ、自分自身で道を切り開く気概を持った人も多いと聞きます。IT時代の到来とともに訪れた起業ブームの担い手は、まだ学生のようなあどけなささえ残った若い起業家たちでした。

ただしベテラン社員を、ますます「最近の若い者は…」という嘆きに走らせる低スペックのエンジニアが増えていることも事実。すなわち、現在の若いエンジニアたちを取り巻く環境は「格差を生みやすい」と言えるかも知れません。いわゆる「使えない人」と、「スペックが高すぎて手に余ってしまう人」の両極端な人が表れやすい時代になったのです。

ソフトウェアエンジニアは全体像を把握して正しい見積りを

ある経営者がソフトウェア開発を依頼するにあたり、同じ要件、同じ仕様、同じ説明を行ったうえで以前から取引のあった3社に見積を依頼したところ、上がってきた見積書の金額の差に愕然としたそうです。

3社とも技術力を売りにした新興IT企業、安く見積もって貪欲に受注を取りにくるだろうというその期待は見事に裏切られました。

同じ金額なのに見積額の開き、何と800万円!

3社から上がってきた見積書に記されていた金額は、A社が200万円、B社が500万円、C社が1000万円となっていました。依頼したのも期待している成果も同じ仕事のはずなのに、見積額の開き何と800万円。

スーパーマーケットなら100円以下で買えるジュースが都心の高級ホテルで頼むと1,000円を超えることがあります。これは、「一流のおもてなし」という付加価値が10倍のジュースを実現させていると言えそうですが、この場合はちょっと勝手が違うようです。これが実際にあった話というから驚きです。

受注を勝ち取ったのは最も安かったA社、その理由は

3社の見積書を元にそれぞれヒアリングを行った結果、受注を勝ち取ったのは見積額が最も安かったA社でした。普通に考えれば、A社の異常な安さは、いずれ追加オプションや工数追加でかえって費用が嵩むことが予想され、B社、C社の話を聞いたうえで値下げ交渉を行うのが定石に思えます。

しかし、A社の話を聞くと、その見積はSEの経験もあってこの分野にはひとかどの見識のある経営者を納得させるだけの根拠があり、既にソフトウェ化開発の全体像が見えているかのようで、しかも、依頼時には考えも及ばなかった建設的な提案があったのでそうです。

その一方で、B社とC社の担当者は、「大変です」「結構かかります」と大ざっぱな説明に終始し、金額に対する相当な説明はなされずじまいでした。こうして、「安い」だけの理由ではなく、顧客を納得させるのに十分な説明ができたからこそA社は受注を勝ち取るに至ったのです。

B社・C社の敗因は、依頼のあった仕事の全体像が見えていなかったこと、その結果「見えない仕事」であるがために、後々費用が嵩むことを恐れて高い金額を見積もったことに挙げられます。これは、まさにソフトウェアエンジニアの能力の差が直接受注に響いた事例と言えるでしょう。

ものによっては「安かろう悪かろう」という図式がピタリと当てはまる業界もありますが、ソフトウェア開発の業界では工数を見据えた適正な金額を見積もることができるかが顧客の信頼を勝ち取る大きな決め手となります。

あまりに安すぎれば、仕様変更等の必要が生じた場合、追加請求もしくは嵩んだ費用をこちらで呑まざるを得なくなるリスクもありますし、高すぎれば受注どころの話ではなくなります。

したがって、顧客の求める要件から、適正な仕様を導き出し、あらかじめ問題点や改善点を見つけ出して逆提案もできるほど精巧な見積もりを立てる能力もソフトウェアエンジニアに求められる重要な能力なのです。

日米比較に見るソフトウェアエンジニアを生み出す土壌

次は、日米のソフトウェアエンジニアを取り巻く環境に目を向けてみましょう。世界に名だたるIT企業は、アメリカ発が圧倒的多数を占めます。今を輝くMicrosoft、Apple、Google、Adobeなど挙げればキリがありません。これらの企業の大部分が野心ある起業家が立ち上げたベンチャー企業です。

かの時価総額世界一を誇るAppleもスティーブ・ジョブズが自宅のガレージから興したベンチャー企業でした。当初は自己資金から始めた小さな企業が、やがて投資家(ベンチャーキャピタル)の目に留まり事業を拡大してきます。

ハイリスク・ハイリターンを承知で資金を出す投資家の期待に応えるべくベンチャー企業は優秀な人材を確保しようと努力します。その結果、先に述べたような世界を代表する企業にまで成長を遂げていくのです。

アメリカはベンチャー企業に寛容なお国事情であると言うことができますが、IT業界は、「完全な実力主義社会」、ソフトウェアエンジニアが小さな枠に収まることなく、世界的なエンジニア、もしくは起業家にもなりうる社会でもあるのです。

一方、日本のIT産業は官僚主導によって醸成されたため、その名残からか、半官半民の巨大法人や一部の大企業の独占状態になっていると言っても過言ではありません。中小のIT企業は大企業の半ば下請け孫請けのような状態となり、独自性を発揮するのは難しい状態です。

そのため参入障壁が高く、なかなかベンチャー企業が育ちにくい環境になっています。この事象を観ても日米間でソフトウェアエンジニアを生み出す土壌に大きな差があることがお分かりいただけるかと思います。

最後に確認して欲しいポイント

現状のままであれば、日本のソフトウェア業界は、グローバル化の波の呑み込まれる中で国際的競争力を失うのは必至の状況です。

ソフトウェアエンジニアとして向上心を持ち研鑽努力を続けられる気概があるならば、若いうちはベンチャースピリットを育くむ風土のある企業で学ぶことをお勧めします。

野心家が群雄割拠する完全実力社会の中で、ソフトウェアエンジニアとしての腕を磨くことで、その後の人生に影響を与える経験となるでしょう。

日本にこうしたベンチャースピリットを満足させる企業が見つからないならば、いっそのこと海外のIT企業への就職も視野に入れてみてはいかがでしょうか。

開発言語やテクニカルタームは万国共通ですから、多くの日本人エンジニアが海外進出を尻込みさせてしまう言葉の壁は、彼らが思っているほど高くはないはずです。

最も大事なのは、ソフトウェアエンジニアとして自分は「どうありたいのか」、「どうなりたいのか」という「あるべき姿」のイメージを強くかつ明確に持ち続けられるかにかかっているのです。

日本のソフトウェア業界に風穴を開けられるのは、こうした気骨あるエンジニアに他ならないのです。

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